となりのおばあちゃん。 ひだまりの犬

14年7ヶ月のかけがえのない時間をすごして、虹の橋を渡ったくじらがのこしてくれたもの。その日々に愛と感謝を込めて…。

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となりのおばあちゃん。

となりの畑で
毎日毎日野菜の世話をしていた
おばあちゃんの姿が
このところ急に見えなくなった。

大分足が弱っていたようだったから
畑仕事はもう、無理なのかな?

息子さん夫婦が
おばあちゃんに替わって
畑の世話をしている。


おばあちゃんは、
くじらのことが大好きで
いつも気にかけてくれていた。

くじらと散歩に出ると、
畑の真ん中から

「くじらちゃん!おさんぽですか~?」

と声をかけてくれて。

穫れた野菜を
「持ってって~!」
と分けてくれた。

我が家に、回覧板を届けてくれたときも、
穫れた野菜を届けに来てくれたときも、

必ずくじらを呼んで
何かしら話しかけてくれた。


くじらが年を取るのと同じように
おばあちゃんの足腰の力も
衰えていったように思う。


くじらがあまり動かなくなって、
ベッドで寝ている時間が長くなってからは

おばあちゃんは来る度に
くじらのベッドをのぞき込んで
話しかけてくれた。


くじらが、玄関先の20cmほどの段差を
怖がるようになると、

回覧板を持ったおばあちゃんも
同じ段差を一段上がる事が
困難になっていった。


くじらが虹の橋を渡ったあと、
しばらくして
野菜を届けてくれた時、

以前のように
くじらのベッドをのぞき込んで
くじらがもういないことを知ると

涙を流してくじらの死を悼んでくれた。

それからしばらく、おばあちゃんは、
顔を合わせるたび、目を潤ませながら、
くじらの思い出話しをしてくれた。


そのおばあちゃんの姿が
畑から消えた。

年を重ねるということは、
目の前から誰かがいなくなるというだけでなく
目に映る景色が変わる、ということでもあるのだな。
と思った。


だから人は、
一瞬を写真におさめるのだろうか?

だから思い出の写真を見る時
少し切ない気持ちになるのだろうか?







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[ 2009/04/16 22:29 ] 年を取るということ | CM(0)
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プロフィール

ハルカ

Author:ハルカ
人との出会いも、動物との出会いも、出会いはみんな奇跡だと思います。
永遠を信じる気持ちの強さが、豊かな時間を育む力になる。
虹の橋を渡ったくじらは今も、あの日の姿のまま、わたしの記憶のなかを駆け回っています。

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