草原にて ひだまりの犬

14年7ヶ月のかけがえのない時間をすごして、虹の橋を渡ったくじらがのこしてくれたもの。その日々に愛と感謝を込めて…。

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草原にて

休日には、よく河川敷や草原にくじらを連れ出した。
先客が見当たらない時には、
リードから解放してあげるとうれしそうにのびのびと、思う存分走り回った。

ひとしきり走った後は、
草のにおいを嗅ぎながら、気ままに歩いたり走ったり。
名前を呼べば、すぐに戻っては来るけれど、

わたしの手の届くか、届かないかのギリギリのところまで来ると、
わたしに一瞥をくれて、すぐにまた向きを変えて走り去る!

のどが乾いて、水が欲しくなるまでは
決してわたしに首輪をつかませなかった。


思い切り走り回れた若い頃、
短く刈り取られた草原では、
わたしの姿が確認できるギリギリの所まで、
あっ!という間に行ってしまっていた。

そんなときは、少しくらい呼んだって戻っては来なかった。
ただ、一定間隔で、必ずわたしの姿を確認して、
一定の距離を保っているらしいことはわかって、、、

そういうところは、とても敵わないな~と苦笑い。

反対に、草丈が高く、くじらの体が埋もれてしまうような状況の時は
立場が逆転した。
いつものように呼んでも戻ってくる気がないような時、
わたしは、草の陰に隠れた。

声は聞こえるけど、姿が見えない。
という状況をわざとつくるのだ。
すると、くじらは一瞬で余裕を失い、
真剣に五感を働かせて、わたしを探しまわった。

いつしか、それがわたしたちの定番の遊びになった。
時間を忘れて、草原のかくれんぼを楽しんだ。
わたしを見つけて、うれしそうに一目散に駆け寄って来るくじらの姿が
愛しくてたまらなかった。


そんな遊びの中で、
くじらが走る時間や、わたしとの距離が
少しづつ短くなっていることに気づいたのは、いつ頃だったか?

わたし時間の1年が、くじら時間では6年にも7年にも相当するんだ。って、
そんなことを実感として感じられるようになったのは、
遊びの中でだった。


くじらと過ごす時間に、思いが向くたびに、
こんな時間のひとコマひとコマを
大切に記憶に刻んでいかなきゃと、強く思った。

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[ 2009/03/15 20:43 ] 年を取るということ | CM(0)
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プロフィール

ハルカ

Author:ハルカ
人との出会いも、動物との出会いも、出会いはみんな奇跡だと思います。
永遠を信じる気持ちの強さが、豊かな時間を育む力になる。
虹の橋を渡ったくじらは今も、あの日の姿のまま、わたしの記憶のなかを駆け回っています。

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